その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が朝廷に抵抗する反乱分子を征伐する旅に出たとき
(古事記や日本書紀に描かれています)、鹿野山では阿久留王(あくるおう)と呼ばれる頭目に率いられた一派が暴威を振るっており、これを山の神々の援護を受け討伐したとされています。
鹿野山の名も、この諸神出現の奇跡にちなみ、当初は「神野山」といっていたのが、「神」が「鹿」に転化したという説もあります。
マザー牧場から車で約8分ほどの鹿野山頂上付近にあるお寺の名が「神野寺」であることを考えると、「神野山」だったというのも合点がいくのではないでしょうか。
さらには、この転化された「鹿野山」の字が、仏陀が悟りを開いた直後に説教した場所「鹿野苑」に似ていることから、聖徳太子が「仏教有縁の聖地に違いない。よろしく伽藍を建立すべきである」と発言してこの「神野寺」が生まれたとも伝えられています。